色彩を持たないねこ@かえると、彼の巡礼の年
「僕の小説を避難所として読んでもらえるとうれしい」というようなことを村上春樹がどこかで言っていた。たぶんX(ツイッター)でフォローしている村上春樹の言葉を集めたbotのアカウントで流れてきたのだと記憶している。
実際に今、僕は彼の書いた「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んでいる。どうしてその中編小説を彼の膨大な作品の中から選んだのかは自分でもわからないのだけれど。
実に3年以上、僕は本を一冊も読むことができない時期を過ごした。脳の病気のために首が勝手に動き本も他の物事全ても正面を向いて見ることできなかったのだ。それは麻酔を必要としそれも効かないほどの激しい痛みを伴うものだった。手術前の最後の1ヶ月の寝たきり状態をのぞいてそのような時期をどのようにやり過ごしていたのか、今となっては思い出すことができない。
それはコロナ禍の時期とも重なる。発病のほんの少し前までは天災とも人災とも言えるその期間、すべての店舗がシャッターを下ろす夜の8時まで街のカフェに出て本を読んで過ごしていた。なんの本を読んでいたのかは思い出せない。なにせ本であれば何冊もとりあえずはいつも僕のリュックの中には入っているから。非常に静かな音のない時間だったと今思い出して気がついた。アイスコーヒーを大きなグラスで注文し、シャッターが閉まる時間まで本を読んでいた。
今年の7月、半年の間をあけて二度行った脳の手術(そして脳に埋め込まれた電極の電流の調節)のあと、僕は病院を抜け出し(家は病院から歩いて15分くらいの距離だ)、本を何冊もリュックに詰め込んで病棟に持って帰り、貪り読んだ。
退院した後は「海辺のカフカ」をぶっ続けで徹夜で読み、川上未映子の彼へのインタビューを読み、彼の友人でもあり翻訳の先生でもある柴田元幸によると「これは人生の生き方を書いた本だ」と言っていた(僕は何度も読んだことがあるけれど、そうは感じなかった。読後に柴田元幸が言っていたことは本当だったと感じた)「職業としての小説家」をかなり熱心に集中して読んだ。
同じ本を何度も読み返す癖があるうえに積読本は数え切れないほどあるから、その後は適当に本棚から選んだ本を読んで過ごした。
そして初めに書いたように、「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」を今読んでいる。避難所として。
避難所?僕は何から身を避けているのだろう?
彼はまた「自分自身を喪失し傷ついている人々を目撃し、彼らのことを思いながら書いています」ということも書いていた。30代の終わりから遅い一人暮らしを始め、40代に入って少しした時に自分が非常に年老いたことに気がついた。唐突に。そして、それは少しずつ外見からこころの奥深くまで侵し始めた。49歳の今となっては自分の年齢をどのように社会の中でも自分自身の中でも落とし所を見つけたらいいのかわからなくなった。前には満ちあふれていた根拠のない自信もコミュニケーション能力もユーモアも失われてしまっていた。水が砂に吸い込まれてしまったように。それらは自分を内側から支えるものであると同時に、外部に対しては鎧のような役目を果たしていたのだと失ってから分かった。
それらを失ってしまった今の僕は、外部に対して晒され、無防備なのだ。
そう、避難所が必要だ。身を隠すための場所が。
でも、僕は同時に読書だけの家にこもる日々に飽き飽きし、外の世界と人間関係の中へと足を踏み出している。少なくとも周りからは僕が自分自身を失い、傷ついているようには見えないだろう。同時に僕は空っぽの自分を持ち、傷を感じずに過ごしている。
どこに向かっているにせよ、僕が目を上げて進めばそれが前に進むことを意味している。
だから、僕は歩くことをやめない。どこかに身を隠すと同時に僕は世界と人の前に現れることをやめない。
他人からどのように思われ、見られていようとも。いつだって、そうやって生きてきたのだから。
#2 無題
MacのMagic Keyboardがマルチ接続じゃないことに今頃気がついた。不便だ。
約3ヶ月の入院を終えて帰ってきてから約1週間弱、生活にも慣れてきた。慣れるまでが大変っだった。とにかく読書した。そういえば、音楽は全くといっていいほど聴いてこなかった。過眠が続いていて、起きるのはいつも午後4時前(睡眠薬をかなり多く自分で削っているのにも関わらず)。そこから1日を始める。それはとても嫌な気分がするものだけど、とにかく僕の1日を始める。僕にとってもっと難しいのは、1日を締めくくることのほうだ。眠るのはだいたい夜明けの4時前か3時になってしまうことになる。
胃瘻から栄養剤を入れる生活にも慣れてきた。
僕はこれまでの人生で幸福とか不幸というものを考えてこなかった。いちいちその二つに分ける暇がなかっただけかもしれない。ただただ前からやってくるものを受け入れてこなしてきた。だから2度にわたる頭(脳)と胃瘻造設の手術を受ける際にも何の躊躇もなく、即座に「お願いします」と受け入れた。そして今、その後の新しい生活を始めている。
入院中には病院のコンビニエンスストアが受け取りスポットだったこともあり、大量の物品と本を購入した。もともと家からも大量の本を持って行ってたんだけれど。病院では誰とも話さないようにし、ずっとカーテンに仕切られた自分の空間から出ず、誰とも口をきかずに本をずっとベッドに座って読んでいた。
脳を手術する病気のせいで58キロあった体重が40キロまで落ちた。「廃用症候群」という病名がつけられ、手術前に体力を取り戻すための別の入院を取る必要があった。高校時代からのストイックな筋トレと激しい肉体労働のおかげで、銭湯や温泉に行くと「自衛隊の方ですか?」「ボクサーの方ですか?」と声をかけられるほどだった僕の体は骨と筋だけになってしまった。女性の看護師にも「すごい体してるよね、男性にも着痩せってあるんだね。筋肉のある男性の体は今ままで何度も見たことあるけど、筋肉のつき方が他の人と違うのよね」と言われるほどだったのに。
でも僕は、今流行りのジム通いもしたことがないし見せるための体を作るためでもなく健康のために体を築いていたわけではない。それは簡単に言えば、村上春樹の「海辺のカフカ」のカフカ少年のような動機と同じだといってもいい。カフカ少年のように切実に強くなる必要を感じていたわけだ。村上春樹の作品が全て自分のための特別な作品であるように、「海辺のカフカ」も僕のための作品の一つだ。
20歳から始めて29年経っても未だに続けているカウンセリング、二人のカウンセラーに見てもらっているけれど、一人目の男性カウンセラーには「僕たち一般の読者は村上春樹さんの本を読み終わって本を閉じるとそこが現実のリアルな世界だけど、君にとっては村上春樹さんの小説の中の現実の方がリアルなもので、彼の作品の中の現実の方が君の現実そのものなんだね」と言われたことがある。村上春樹さん自身が「僕の作品が、正しい方向を求めている人のためになっていると嬉しい」「人生の中で何度も読み返す本がある人は幸せだ。それが僕の作品だと嬉しい」と言っているように、僕にとってまさに彼の作品はその役割を果たしてくれている。人生の中で、村上春樹と河合隼雄さんの本に巡り合うことができなかったら、おそらく僕はここまで生き延びることができなかっただろう。そして、この先の人生を生き延びることもできないだろう、と僕は思う。
もちろん、レイモンド・カーバー、ティム・オブライエン、グレイス・ペイリー達の本にも感謝を込めて。
#1 無題
20代に書いていたホームページを再開するとTwitterでずっと言っていたけど、全部「中年クライシス」に関する話題ばかりで自分でも鬱陶しくて、続くことはなかった。
以前は自分でHTMLを打って書いていたけれど、今回は「はてなブログ」と「note」の両方に同じものを載せようと今のところは思ってる。どちらのサービスが自分に向いているのか分からないから。どんなことを書いていくのかは自分でもわかってないんだけど、最低限自分で書いていて前のように鬱陶しいものでなくて、まず自分が楽しければいいんじゃないかな。
この一年の間に、頭(つまり脳)の手術を2回受けた。今週には、胃に内視鏡を突っ込んで胃瘻(いろう)を作る手術を受けた。今まで自分が人生で手術を受けるなんて考えてもいなかった。でも、とりあえず2回大きな手術を受けたわけで、先日も受けた。
2018年からは災厄の連続だった。そして、ピークに突入したのは2021年、それは引っ越した年でもあった。厄介な大家に当たってしまったのだ。面倒くさいから詳しいことは書かないけど。まだ、家具を新しく購入し組み立てたばかり、他の家具もとりあえず部屋に並べた段階でその病は急に悪化し固定してしまったので、いまだに部屋の中は荷解きした荷物が散乱したままになっている。かろうじて、本とCDだけが収まっている。そんなまま、この2024年まで3年間過ごしてきて、自炊も一度もしていない。自炊を一度もしたことのない部屋だと、自分の家のようには感じられないものですね。
今は、とにかく早く退院して家に戻って、少しずつでも部屋を整えていきたいと思っています。そして、遅まきながら新しい生活を始めたいです。
良き新居となりますように!